5回目となる悪友3人による4輪3台ツアー。
今回も、行き先、イベント、行脚路を喧々諤々の検討の上、気仙沼〜女川までの「復興商店街」を周るということになった。
7時過ぎに仙台発。
11時前に気仙沼着。
1件目は岸壁にほど近い、「復興屋台村 気仙沼横町」。
ここの店舗は、夜の比重が大きい模様で、お土産のみを購入。
本日は大潮だったが干潮が10:03。
一番潮位が低いときに伺ったため全く想像出来なかったが、大潮の満潮時、つまり、今日の17時前の満潮時には店先まで潮が入ってくるとのこと。魚も上がってくるというから、驚き。
現実はこんな所にも見える。


2件目は、1件目にほど近い「南町 紫市場」
ここで昼飯。
寿司をいただく
写真の通り、多くの店舗が立ち並び、午前中にも関わらず、人の気配が十分する場だった。


その後、屋台村で教わった「船」を見に。
ここは、気仙沼湾のちょうど、真底にあるせいなのか、かなり破壊度が高いように思えた。


気仙沼を後にする前にどうしても訪れたかったところ。
「ゆう寿司 魚市場前店」
何も無かった。
最後に訪れたのは2008年のツーリングの時。
この写真が懐かしい。



この後は南三陸町、志津川。
写真をアップするまでもなく、街ひとつが無くなっていた。
が、ここは元気。




ここでは志津川のタコが入った揚げかまを入手。同時に村田町の愛宕の松も購入。
この志津川のタコの説明が「志津川のウニとアワビを食べて育った、セレブなタコ」ってのがなんともイイ。
そのフレーズに負けない、おいしい「タコ揚げかま」だった。


最後は女川。
女川高校の校庭に復興商店街を作った。
立派である。。。
ここでは、串カツやら串焼きやら。
浜の様子は、一年前と比べると、地上にあったものが、だいぶ無くなって整地が進んでいた。
が、復興が進まない現実も見る事になった。


しかし、その後に通った石巻の回復には驚いた。
日本製紙の煙突からは煙が出ていたし、アミューズメント、ファーストフードを始めとした店舗が建ち並び、見た目には以前より綺麗になっているように思えた。
同時に、元気さえもらえた。


予報の雨にもほとんど降られる事もなく終えられたEDO#5.
さて、次回はどこにいく!








# by asunaro151 | 2012-05-23 02:33 | EDO | Trackback | Comments(0)
このブログで何度か書いている夢のサブ3。
これは「42.195kmを3時間以内で走る」ということなのだけれど、初マラソンとなった2010年2月のいわきマラソンで3時間12分56秒完走したときには、正直、そう遠くない将来に達成できると思った。夢から目標に変わった瞬間だった。
いや、正確には「と、勘違いした」だ!
世の中、そんなに甘くはない。

この2月に走ったいわきマラソンでは自己ベストを更新はしたものの、最低限の目標だった3時間10分切りを達成できず、3時間10分55秒。後半でフォームを完全に崩し、初の足底に大きな血豆が出来るくらい、内容は惨憺たるものだった。

単純に練習が足りない。量も質も。
4分00秒/km前後で走っていた前半、必然的にサブ3ランナーと一緒に走っていた。
その方々は、見るからにフォームに無駄がなく、走り込んだ雰囲気が一体に漂っていた。
しばらく、このままついて行けるかと思ったのも束の間、10km手前からその集団に徐々に置いていかれる。
それは今回も前半で「サブ3を諦めなさい」と引導を渡されることでもあった。

この11分の壁を破るには、1kmあたり平均して16秒縮める必要がある。
3時間の間に、吉野家に入って出るまでくらいの時間を短縮したところでだからどうした、と言われればそれまでなのだけど、この壁の向こうにどんな自分が待っているのか、どうしても見てみたいのだ。
もしかして、何にもないかもしれないけどw。


現状で4分30秒/kmでペースを刻むことは、練習でも掴めている。
それを(コースの勾配を考え)4分00秒/kmペース、それも心拍数を上げずに刻めるようになりたいのだけれど、この約1割のペースアップが、かなりの負担を身体に与え、壁になっている。

身体にダメージを追う可能性が高くなる分、体幹がぶれない、ダメージを軽減するフォームが必須だし、骨盤矯正を含めたメンテナンスも欠かせない。
車やバイクと同じなのだね。
しかし、走らなければ、走れるようにはならない。
途中でダメになるかもしれない、という怖さから勇気を持って4分15秒/km以上のスピードで押していかねば、永遠にサブ3は達成されない。

最終的なリスクは本番で負うのだけれど、その準備をするときにもリスクを負ってトレーニングしないと、あのスピードには決して追いつかないと、改めて本番で感じた。
せっかく作ってきたフォームを崩したり、怪我をしてはまた遠回りになるのだけど、実際は、フォームを崩したり、怪我をしたりすることは避けられないのだから、そうなることを前提に、予定を組んで走り込むしかないのだろう。
その強さが今の俺に必要なこと。

月並みだが、走りたいなら、やっぱり走るしかない。
そこに「細心の注意を払って、リスクを負えるに値する準備をする」を付け加えよう。
本当は目標を達成してからこんなことを書けばいいのだろうけど、有言実行とかっこ良く行くか???


来年2月のいわきマラソンまで、あと9ヶ月!


この半年、さまざま考えてきた中で、自分が生涯をかけて挑戦することになるであろう、2つのプロジェクトが見えてきた。
先に書いた「最も大切なこと」を実現するもの。
まだまだ、勉強が足りず、鼻で笑われるものかも知れないが、少しここに書いておこうと思う。

一つは「あすなろ基金」プロジェクト。
もう一つは「プラットフォーム」プロジェクト。
この2つは両輪になる部分が多くなると思っている。

「あすなろ基金」プロジェクトは「街の懐を深くする」と、俺、そして俺のアドバイザーとなってくれたプロフェッショナルが見込んだアーティスト、アート活動に投資するもの。
リターンは(その名のごとく)街とアーティストの懐が深くなるというもの。
「懐」は財布ではない。語弊を恐れず言えば「許容」に近い。街に住む人たちが、様々なことを受け入れ、「それもあり」とする土壌をつくっていく。そんな地に様々なおもしろいものがあつまり、そこからまたおもしろいものがうまれる。こんな街は単純におもしろい、と俺は思うし、そういう街を後の人たちに残していきたい。
これは3年後を目標に立ち上げ、初めの投資を始めたいと思っている。その原資などは、実際に立ち上げる時にお話ししたいと思う。
もう一つの「プラットフォーム」プロジェクトのイメージは「コ・ワーキングスペース」などに少し近いが、扱うものが「地域資源」や「アート」のようなもの。いずれにしても交流の場のみでなく、「新しい何か」が生まれる、そして「ビジネス(生活費を稼げるの意も含む)」として成長する種、見込みがあるものを見つけ、場を作ったり、投資を行うというもの。
このアイディアの大部分は、我が職場にも十二分に活かせるし、事業化して結果を残せれば、財団の「社会資本」化も十分狙える視点ではないかという仮説を立ててもいる。

プロジェクトなので、始まりと終わりを設定しておこうと思う。
また、このプロジェクトは「なんかこの街は何かが生まれそうでおもしろい」それが「経済的に成り立つ」という2つの要素が同時に共存するための手段なので、中身に固執することなく、視野を広げながら、今やることを限りなく絞って、スピードを上げていこうと思っている。

これだけを読んで頂いて「?」マークしか浮かばないだろうし、ほら吹きのような話にしか見えないかも知れないけど、具体的になってきたらまたここにも書いていくので、ご賛同いただける場合は、是非見守ってくださり、また忌憚ないアドバイスを頂ければ幸いである。


さて、次回はマラソンのことを。
(またか、という声も聞こえてきそうだがw)


4月からの新年度がスタートして早1ヶ月。
世の中はGWのまっただ中だが、個人的にはここ4年程、暦とは縁のない業務をしているので、GWは完全に他人ごとになっているw。
このブログの更新も本当に久しぶり。
今回は3つに分けて更新しようと思う。

まず、最近の様子。
昨年11月に体調を崩してから半年ほど経とうとしているが(病名は雅子様と同じでした)、
多くの皆さんのお陰で、(おそらく)次回で通院終了となるところまできた。
改めて心よりお礼を申し上げたい。
(事後報告になる方々には大変申し訳ないことでしたが、今はかなり元気なのでご安心ください。)

振り返ってみると、俺にとっては「頑張りすぎず、しかし、頑張らなさ過ぎず」という状況が目指す所なのだろう、と感じている。
過度の頑張り過ぎもまずいが、頑張りどころが急に減ったり無くなったりすると逆に体調を崩す、ということも今回分かった。

「程よい頑張り」??

要は「最も大事なところに時間と力をかけて結果を出す」ということなのだろう。
そして(自分にとって)「最も大事な結果」とは何か、を間違わないということ。
「最も大事」なことの設定を間違うと今回のようになる確率が高まる、と今は思っている。
その「結果」が、これからの社会に役立つものだと、力が枯渇する可能性はぐんと低くなる。
肝に命じて結果に向かっていこう。




さて、この春の定期異動で俺もその当事者の一人となった。

今年の異動者に対する理事長の話のなかに、
「(様々いただいたご支援に感謝しながらも)“自分が頑張ったから復興出来た”というようになりたい」
という、市長の言葉の紹介があった。
理事長は「その気持ちに寄り添っていきたい」と、そして「我々が出来る事を一緒に考えて行きたい」と。
別の機会だが、「財団の社会資本化」ということも言葉にされていた。
俺は、こういった大方針を言葉にしてくださるトップに「今」恵まれていることを、もっと大切に、幸せに捉えねばと思っている。
この後の、具体的な事業の創り出し、実行、結果を出し、社会の役に立つ状況を創り出すのは俺らの仕事。
そのために給料を貰ってここにいる。

幸い、俺らが生業としている分野は、「危機管理」のように「最悪を想定」し、それを準備するとは反対の、「ありたい姿」から入ることができる分野だ。
どういう状況が「寄り添って」いる状況なのか。
大事な核の部分から、仲間と話し合って行こう。
束になってかかれば、きっと突破口は見つかるはず。
こういう所は楽観的に入って良いのだと思っている。。
やることはたくさんあるぞ。
でも、一人じゃないからね。


次は、見えてきた「2つのプロジェクト」について。



フェルメール展を見てきた。

事前によく聞いていた「光」は圧巻だった。
言葉にならない。
修復家の職人技も凄いのだろう。
何とも言えないあの「明かり」を見た時、
フェルメールさんが現代の舞台照明をされたら、どんなものをつくられるのかな、なんて思ったりもした。
いい体験をさせていただいた。


今更言うことでも無いのだが、俺、実は正直、西洋美術にはあまり関心が無いw。
その昔は何とか「分かりたい」と思っていた時代も長かったのだが、
そのこと自体が「変」と思うようになってからは、更に遠くなっていた。
なので、「フェルメール」は自分の中でかなり特別なものとなっている。
俺が好きなのは、音楽でもなんでも、理屈を考える前に、見たまま聴いたまま感動を覚えるようなもの。感動した後はもっと知りたくなるから、いろいろ調べ物を始めたりする。
そんなので「仏教美術」にも惹かれるようになったのかもしれない。
ある上司(恩師)の影響も大きい、とも言えるがw。
(おかげさまで、その作品についてハッキリ「好き、嫌い」を言えるようになったように思う。)
よって、フェルメールの3枚以外は殆どスルーwだった。
(そのあと、常設展には行きましたよ。宮城県美術館の常設展は結構好きで、いつも楽しみにしています。)



話を戻して展覧会のこと。
今回は展示場を出た後の話。
仙台での開催が昨日で終わったので書いてみようと思う。

目玉のフェルメールの3枚が順路の最後に配置されているので、それを見終わると退場となる。
そこに待ち構えているのがレプリカ販売業者。
念のため言っておくが、その人達のことをとやかく言うつもりは全くない。
ただ気になったのは、かなりの数が売れているという事なのだ。
なぜ数が分かるかというと、レプリカの下の台紙に小さな丸いシールが張ってあって、売れた枚数が人気投票のようになっているからだ。
一枚数万から大きいもので10万円以上のもある。
それが、あるものは数十枚以上の単位で売れている。

いや、値段や数の問題ではない。

つい今しがた、世にも稀なあの美しい「光」を見たばかりなのに、どうしてあのレプリカを欲しくなってしまうのか、ということなのだ。
フェルメールをリスペクトした誰かが、渾身の想いで書いた複製画とかではないのですよ。
単なるレプリカ。おまけに、お世辞にも良い状態とは言えない。
ましてや本物を見た後なら、その差に愕然とくるはずなのに。
土産になら1階の売店に、フェルメールの絵が印刷してあるプックマーク(500円)なんてのもあるのだが。
俺は、そのレプリカの残像が残ったまま帰るのが余りに嫌で、御法度の再入場をして、もう一度あの美しい「光」を目に焼き付けてきた。


帰り道、間もなく皆既月食となる満月を見ながら、
あのレプリカを買うお金で、仙台のアーティストさん達の「アート」を買ってくれたら、どんなにこの街が豊かになるんだろう、と思った。
そりゃ、フェルメールさんと比べられたらちょっと辛いだろうけど、まぎれも無く「本物」なんだけどな。
ましてやイラストレーターさんなら、好みのタッチまでオーダーして、世に1枚だけの「オリジナル」を描いてくださるのに。
それも件の複製画よりはるかに安く。。。
そんな事を考えながら歩いて帰ってきた。


そう言えば、こんなことを実現して行きたいから通称「座敷アート」なんて企画も考えてたな、なんてことも思い出した。
数年前から構想だけは練っていたもの。
もし、実現して行く流れになったら、またここでご紹介するとしよう。